三島由紀夫は学習院首席らしい。
三島由紀夫
昭和19年9月9日、学習院高等科を首席で卒業。卒業生総代となる。卒業式に臨席した
昭和天皇に初めて接し、恩賜の銀時計を拝受。
昭和22年11月28日、東京大学法学部法律学科卒業。同年12月13日、高等文官試験に
合格する(成績は合格者167人中138位)。一時宮内省入省の口利きがあったが、
結局は父の強い勧めにより同月24日、大蔵省事務官に任官。
「金時計」
俗に東京大学の首席卒業生に対して「天皇陛下より金時計が下賜される」と言われる
が、正しくは銀時計であり、現在では行われていない。しかし、首席卒業生に対して
金時計を授与する大学は現在でもある。金時計を授与された卒業生を「金時計組」と
称することがある。
「銀時計」
明治維新から第二次大戦までは、帝国大学、学習院、商船学校、陸軍士官学校や
陸軍騎兵学校等軍学校において、各学部の成績優秀者(首席・次席)に対して、
天皇からの褒章として銀時計が授与された。天皇(または代理)臨席の卒業式で
与えられ、至高の名誉と見なされた。銀時計を授与された者は「銀時計組」と呼ばれた。
(東京帝国大学では1897年から1918年まで授与制度が続き、323人が対象になった。
選定基準は必ずしも明確ではないが、成績に加え人格も評価され、学部1名と決まって
いた訳ではない)。
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