「戦後70年『一番電車が走った』」
8月10日(月)夜7:30-8:43
昭和20年8月9日、一台の路面電車が焦土と化した広島の街を走り始めた。
生き残った電鉄会社の社員が原爆投下の翌日から復旧作業を始めていたのだ。
曲がったレールに槌を振り下ろし、架線を張り直す。被爆からわずか3日後に、一部の路線で運転再開にこぎつけた。
運転士は10代半ば、電鉄会社の家政女学校で学びながら働く少女たちだ。
戦地に赴く男性の代わりに路面電車に乗務、運転も任されるようになっていた。
♪チンチン…一面の焼け野原に響く『一番電車』の音。雨田豊子(16) は頭に包帯を巻き、運転席に立つ。
車内は家族を探しに行く人々で満員だ。誰もがすがる思いで前方を見つめた。そして迎えた終戦。
すべてを失った広島の街を路面電車は走り続ける。
「電車が動いたら広島は復活するんじゃ!」電鉄会社の電気課長、松浦明孝(45)は、
主要路線の1か月以内の復旧に向けて立ち上がる。
絶望の街をゆく路面電車は、いつしか“ヒロシマの希望”となっていった。
70年前の実話をもとにドラマ化。
少女運転士・雨田豊子を黒島結菜、立ち向かう電鉄マン・松浦明孝を阿部寛が演じる。
この他、豊子が運転する電車の乗客で、初恋の相手となる森永役に中村蒼。
松浦に反発する部下・安永役に新井浩文らが加わる。
原爆投下によって運命を翻弄されながらも前を向いて生きた人々の姿を描く。
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